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篇一:考研日语作文范文26篇

考研日语(非日语专业)作文范例25篇

問題1

あなたは、外国の人があなたの国の母語で語りかけてきたとき、文法や言葉遣いが間違っていたら直してあげますか。それとも失礼になると考えて言わないでおきますか。 解答 直してあげる

私は間違っていたら直してあげる。

なぜなら、言葉の誤用に中には、相手の誤解を生んだり心を傷つけるような言い回しがあり、その不用意な一言のせいでコミュニケーションに障害が生じるとしたら、本人にとっても不幸だと思うからだ。

例えば、日本語の「あなた」という言葉は目上の人に使うと失礼になるが、欧米の人たちは誰彼の区別なく「あなた」を使う。それが初心者ならまだ許せるが、ぺらぺらしゃべる外国の人に「あなた」と言われたら、日本人は間違いなくむかっとするだろう。それは母語と関係しているのであり、何の悪意もないのだが、言われた日本人はいい気持ちがしない。こうした誤用は誰かが指摘してあげなければ、いつまでも直らない。

従って、異なる言語や文化を持った者同士のコミュニケーションが大切な時代には、自分が間違っていたら指摘してもらうし、相手が間違っていたら指摘してあげるといった率直さが美徳となると思う。

問題2

ある外国の人は「日本人は『はい/いいえ』がはっきりしないから、理解しにくい。日本人はもっとはっきり意思表示をするべきだ」と言います、あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。

解答 賛成する

私はこの意見に賛成である。

確かに日本人は「はい/いいえ」をはっきり言わない傾向がある。それは相手の気持ちを傷つけまいとする「和」の文化と言われるものだろうが、私たち外国人には賛成なのか反対なのか、好きなのか嫌いなのか、とても判断しにくい。

例えば、以心伝心とか、言葉を使わずに察しあう習慣は、日本社会のような同質性の高い同一民族社会では可能かもしれないが、私の国中国のように文化が異なり、言語が異なる多民族が暮らす社会ではほとんど不可能だと思う。きちんと意思表示しなければ、コミュニケーションが成立しないのである。今の日本も国際化が進んでおり、多くの外国人が住み、異文化間の交流が日常化している。そんな国際化時代には、はっきりとした意思表示や自己主張ができなければ、他人からも認めてもらえなくなるのではないか。

従って、私は日本人にはもっとはっきり意思表示できるようになってほしいと思う。

問題3

日本には昔からクジラの肉を食べる習慣がありますが、現在は食用としての商業捕鯨は全て禁止されています。あなたはこの商業捕鯨の一律禁止についてどう考えますか。 解答 賛成する

私は商業捕鯨の一律禁止に賛成である。

なぜなら、クジラは繁殖力が低いので、捕りすぎると資源の回復が遅いからであり、また、クジラは経済的価値が高く、商業捕鯨を一旦認めると、乱獲されやすいからである。例えば、1946年に「国際捕鯨条約」が締結されたが、その後も乱獲が続き、クジラを絶滅の危機に追い込んだのは周知の事実である。捕鯨国代表は、カンガルーと同様に間引

きが必要なまでに鯨が増えているとし、商業捕鯨の再開を主張しているが、鯨の生息数に関して、科学的に確定した合意が得られているわけではない。また、捕鯨反対派に対して「食文化への干渉」と言うが、IWCが原住民の生存捕鯨を認めているように、食文化まで否定しているわけではない。乱獲を防ぐための国際的管理体制が確立されない状況下で、商業捕鯨が再開されることに反対しているのである。

従って、私は現状における商業捕鯨の再開に反対する。

問題4

「言語や宗教、生活習慣など、民族間の文化的な違いが生む確執こそ、現代の地域紛争を生む最大の原因である」という意見があります。あなたはこの意見をどう思いますか。 解答 反対する

私はこの意見に反対である。

なぜなら、現代の地域紛争は単に宗教や言語の差異から起こるのではなく、主に経済?政治的理由から生じているからである。

例えばパレスチナ問題である。「パレスチナ人」という民族概念もユダヤ人国家イスラエル誕生で土地を追われ、難民となった人々の共通の運命をてこに形成されたのであり、歴史的にも新しい事態である。それ以前のパレスチナでは多数派であるイスラム教徒と、少数派であるキリスト教徒やユダヤ教徒が住んでいたが、人々は宗教や民族の違いに関わらず、共存して暮らしていたのである。また、アフリカ各地で部族間紛争が頻発しているが、そもそもヨーロッパ列強がが植民地化のために諸部族や諸民族の暮らしを無視して、人為的に引いた国境線が原因となっている。

従って、文化や宗教の違いがあっても人々は棲み分けし共存してきたのであり、文化の違いが地域紛争を生んだのではないのである。

問題5

ごみ減量やリサイクルを促進するために、残飯や紙、プラスチック容器などの一般家庭ゴミの回収も有料化するべきだという意見があります。あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。

解答 賛成する

私は一般家庭ゴミの回収有料化に賛成である。

なぜなら、ゴミを捨てるのにお金がかかれば、市民もゴミの分別やリサイクルに関心をもつし、ゴミ減量にも目に見える効果が期待できるからだ。

例えば、家電ガミの回収の有料化によって、家庭から捨てられる家電は半減したし、家電メーカーでも使える部品を再利用して製品として再生するなどの取り組みが進んだ。同様のことは家電ゴミ以外でも起こると思う。食べ物を無駄にしていないかとか、使い捨てのプラスチック容器のように、使い捨てとなり、再利用が困難なモノを作っていないかなど、消費者からの生産現場への問題提起となり、リサイクル社会への移行が進むに違いない。確かに、家計の負担は増える。しかし、今までもゴミ処理費を税金として住民が負担していたことに変わりはなく、住民自身、その長短を考えるべきだろう。

以上の理由から、私は一般家庭ゴミの回収有料化に賛成する。

問題6

「地球温暖化を防ぐためにも、できるだけ自動車や電気を使わない生活をするべきだ」という意見がありますが、あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。

解答 人々の意識

私はこの意見に賛成である。

なぜなら、地球温暖化の最大の原因は、今日の「消費は美徳」とする大量消費型社会にあり、エネルギー浪費型の生活スタイルにあると思うからだ。

例えば、自動車がなければ本当に生活できないのか。クーラーがなければ生きていけないのか。極論すれば、それらはなくても生きていけるはずだ。しかし、水、空気、土地、太陽、植物といった自然が壊わたら、人は生きていけない。せめて、近くの移動は自転車を使い、多少の暑さ寒さに耐えるぐらいのことはできることだ。自然は有限であり、どこかで人類が欲望を自制することを学ばなければ、人類もまた恐竜の二の舞になるだろう。この地球には、60億人を越す人類が、先進国並みの消費生活を享受できるような余地はないのである。

従って、私は未来の子孫のためにも、可能な限り車や電化製品に頼らない生活をすべきであり、資源リサイクル型社会を目指すべきだと考える。

問題7

最近、電子辞書が普及していますが、あなたは外国語を学習するとき、普通の印刷された辞書と電子辞書と、どちらが勝っていると思いますか。

解答 普通の辞書

私は外国語の学習には、印刷された普通の辞書の方が勝ると考える。

なぜなら、単に意味を調べるだけなら電子辞書の方が便利だが、言語学習には語彙や例文を覚えるための練習があり、そのためには下線を引いたり、メモしたりできる辞典の方がいいと思うからだ。

例えば、外国語を学ぶための教材に電子教科書が使われないのは、言語習得には手で書いたり、声を出して反復したり、教師の説明をメモしたりと、様々な作業が必要だが、電子教科書ではそれができないからであろう。また最近、電話番号を記憶させておける携帯電話が普及したために、人は相手の電話番号を覚えなくなったと言われるが、同様のことが外国語学習でも言えそうである。人は易きに流れるものであり、便利になればなるほど、機械に頼り、覚えたり考える努力をしなくなるものだからである。

従って、言語学習には、日々の努力の跡がまざまれる普通の辞書の方が勝ると思う。

問題8

ある人は、「子供に悪い影響を与えるテレビ番組は、法律で規制するべきだ」と言います。ある人は、「表現の自由を侵害することになるので、テレビ番組を規制するべきではない」と言います。あなたはどちらの意見に賛成しますか。

解答 規制すべきだ

私は、「子供に悪い影響を与える可能性のあるテレビ番組は法律で規制すべきだ」という意見に賛成する。

なぜならば、テレビの番組は、見たい人だけが足を運ぶ劇場や映画館とことなり、誰もが見る可能性がある自宅に、一方的に送られてくるものだからである。露骨なベッドシーン、残酷な暴力シーンなど、明らかに子供に有害と思われる番組が、野放しにされているのは好ましいことではない。

「殺人者をテーマにした番組を見た子どもが、全員人殺しをするわけではない」が、犯罪行為を英雄のように描く番組や、暴力礼賛のような番組が、子供たちに何の悪影響も与えないと断言できるのだろうか。また、正しいかどうかを疑う確かな目が、まだ養われて

いない子供には、発展段階に応じた情報や内容が提供されるべきだろう。

従って私は、子供に悪い影響を与える番組を規制することは、子どもたちの健全な感受性を養う上で、必ずポラスに働くと思う。

問題9

将来、学生はコンピュータなどの情報機器を使った在宅学習か、従来通り学校に通って受ける学校教育かを自由に選択できるようになるでしょう。その場合、あなたはどちらを選びますか。

解答 学校教育

私は学校教育を選ぶ。

なぜなら、共通の学びの場である学校という集団生活の中でしかできないことがあると思うからである。例えば、友との交流や、クラスのみんなが力を一つにして何かを実現する喜びなど、自宅に引きこもっていただけでは味わえないことである。

確かに今日の学校では、いじめ、不登校、暴力などの様々なことが起こっている。私自身、学校の勉強が楽しいわけでもないし、学校という集団生活の中では、煩わしいこともあれば、自分の思い通りにならないこともある。しかし、人は一人では生きていけないし、人との関係に中でこそ喜びもある。また、学校といういろいろな個性が出会い、集団で生活する経験を通して、私たちは実社会で生きる力を身につけるのではないだろうか。これらのことは、ひとりでパソコンに向かい在宅学習をしているだけでは、決して学ぶことはできない。

以上が私が学校教育を選ぶ理由である。

問題10

あなたは、情報源として、新聞とテレビと、どちらの方が信じられると思いますか。どちらかと選んで、あなたの意見を書いてください。

解答 新聞

私はテレビよりも新聞の方が信用できると考える。

なぜなら、新聞は速報性よりも、事実を正確に伝え、解説することを目的としているからであり、テレビよりも感情や過剰な脚色を交えぬ報道ができるからだ。

例えば、アメリカの同時多発テロ事件の報道にしても、テレビではアナウンサーが絶叫し、センセーシュナルに報道していたが、映像や音声があるおかげで臨場感はあるものの、実際の被害はどうなのか、どうしてこのような事件が起こったのかなど、冷静になって知りたいと思う、やはり翌日の新聞を読むことになる。やはり、文字を中心とする新聞の方が、活字化するという作業の中で言葉が選ばれ、事実や論評げのチエックが働くからだと思う。確かに、新聞にも誤報がないわけではないが、テレビのように視聴率を稼がんがための演出や「やらせ」が少ないぶん、信びょうせいも高くなる。

従って、私はテレビよりも新聞のほうが信用できると考える。

問題11

日本では学校教育法(第11条)で体罰を禁止されていますが、「ケースによっては、体罰が必要なこともある」と主張する人がいます。あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。

解答 反対意見

私はこの意見に反対である。

なぜなら、体罰というの外からの強制であり、このような他律的な強制力では自覚的規律の育成は不可能だと考えるからである。

例えば、これは実際の話であるが、学校でいじめ事件が発生し、いじめた者たちを生活指導の教師が体育館に何時間も正座させ、姿勢が崩れた者を竹刀で打つという体罰を加えたことがある。それで、いじめがなくなったかというと、結果は全く逆であり、よりいじめは陰惨となり、巧妙となった。体に傷が残らないようないじめが、訴えた生徒に加えられたのである。この一例を見ても、体罰が有効でないばかりか有害であることがわかる。私は教室で騒いだり、喧嘩をした生徒を教室に立たせたり、運動場を走らせたりする程度のことまで体罰とは言わない。しかし、一旦制度として体罰が認められれば、それが過剰に行使される危険の方が大きい。

従って、私は体罰を認めることに反対である。

問題12

「今の大学入試制度を廃止し、一定の成績で高校を卒業した学生には誰でも大学進学の資格を与え、卒業を厳しくする方式に変えていくべきである。」という意見があります。あなたはこの意見に賛成しますか、反対しますか。

解答 反対意見

私はこの意見に反対である。

なぜなら、競争こそ進歩の原動力であり、努力した者が報われ、能力のある者がよりその能力を磨けるいい大学に進学するのは当然の権利だと考えるからだ。

例えば、大学が成績の善し悪しを基準にしないで、誰でも学生を受け入れるとしたら、大学ではその水準に合わせる授業が必要となるため、授業レベルは低下し、学習意欲も高く能力もある学生は犠牲にされることになる。中高生たちは、「勉強は大学に入ってからでもいいさ」と怠けるようになるのではないだろうか。安易さは堕落を生む。

この競争社会では安易な道はない。勝ち残るためには努力が必要なのである、それは、中等教育でも大学でも、そして社会に出ても、連続的に続くプロセスなのである。むしろ、受験競争を悪としたり、能力主義を否定したりする戦後学校教育の悪平等主義こそが、教育荒廃を生んだと考える。

従って、私はこの意見に反対である。

問題13

規則は厳しいが、有名大学への進学率が高い受験重視の学校と、進学率は余りよくないが、規則は緩やかで子供の自主性を尊重する自由な学校があるとします。もしあなたが親なら、自分の子供をどちらの学校に通わせますか。

解答 自由な学校

私なら、子どもの自主性を尊重する自由な学校に通わせる。

なぜなら、人間にとって幸せとは、いい大学を卒業して、一流企業に就職し、高い地位につくことにあるとは限らないからである。

例えば、ラーメンづくりに情熱を注ぎ、少しでもおいしいラーメンを作りたいと日々努力している人は、大会社の社長や大学教授よりも不幸せだと言えるだろうか。豪邸に住む人々が、平凡なサラリーマン家庭よりも幸せだと言えるだろうか。

人は強制されて何かをしているとき、幸せを感じはしない。また、人は自分自身が選んだ好きな道に打ち込むことを通してしか、自分の能力を開花させることはできない。それはこども自身がつかみ取るものであり、親が自分が望む「幸せの形」を押しつけるべきで

篇二:日语作文30篇

私の梦

かつて、ナポレオンが「将军になる考えがない兵士はいい兵士じゃない」と言いました。そのとおり、梦がない人生は人生ではありません。

子供の时から、亲や先生や友达などいろいろな人が「あなたの梦はなんですが」と闻きました。理の当然で、人々がさめざまの梦想を持っています。私も梦がたくさんあります。

小学生制になった时、クラス担任はとても优しくて、若い女性でした。みんなだいすきでした。彼女は数学を教えてくださったので、私は

一生悬命顽张りました。长い时间を使って、ひとつの难问に回答した後の気持ちはとても高扬していました。心から数学の教师にならたいと思いました。両亲も喜んで忚援してくれました。

12歳、中学校に入りました。その顷田舎の家の近くで伝统的な芝居がはやっていました.祖母も好きで、周末一绪に见に行きました。そして、私はだんだん、その芝居に梦中になりました。时々、真似たり、一人で歌ったりしました。何时でも。何処でも、音楽が闻こえると、特别な感铭がありました。

いつの间にか、俳优になりたいという考えが出てきました。私は音痴ですから、両亲に知らせると、「白昼梦を见るじゃないよ」と言われました。今思えば、当时は思春期だったからなのか、悲しいことに自分の考えに固执しました。时间がはやくたちました。瞬く间にもう大学生になりました。今、専门が日本语の私はまた一つの梦があります。その梦とは外资企业に勤めることです。通訳でも翻訳でもいい出です。

そうすると「将来はなにをする?数学を教える?それに俳优になる?あゆいわ日本语に関して仕事をやる?」といろいろな问题が思い出されました。あれこれと思いを巡らすと、难しいですね。答えはなかなか出てきませんでした。ところが、そんな梦がたくさんあるので、生活が面白い、目标に向かってまい进する力が强いです。梦は多ければ多いほど実现する机会も増えると思います。一つの梦が破れても、また别の梦を追うチャンスがあるからです。

さっきも言いましたように、梦を持つと问题が出てくることは否定できません。ですが、やはり、私はこれからも梦のある美しい生活を大切にしていきます。

「私の梦」(日本人は理想よりも、梦と言う言叶を使っていると思いますので。)

私はまだ子供のころ、空を见上げることが大好きでした。青々と広がっている空を、ふわふわしている云が、のんきそうに漂っていくのを见て、心が愈されるような気がします。

ですから、私はそのとき、「将来パイロットになりたい」と心で决めました。飞行机にのって、鸟のように、空を、云の间を缝いでいくことを、すばらしく思っていました。头が空っぽになって、すべての悩みが忘れられるようなので。

まだちっちゃいので、パイロットになるために、どうしたらいいのかまだ考えていませんでした。その后、パイロットはみんな2.0以上の视力がなければならないと闻いて、近视眼である私はただ、空しく叹くしか、しようがありませんでした。 高校に入って、私はサッカーに兴味を持ち始めました。サッカー选手たちが、竞い合っている姿に、私は惚れていました。あのスピード、パワー、テクニック、あれこそが、男のあるべき姿ではないかと、私は思いました。そして同时に、新たな梦が私の心に芽生えました。それは、「中国一のゴールキーパーになって、中国チームを世界の顶点に送るのに、私は自分の力を捧げたい」と思いました。しかし、それには、身长が必要です。1.80ちょうどの私には、中国一は无理だったのかもしれません。大学に入って、身长がほぼ固定された私の新たな梦は、无残にも破られてしまいました。 日语

大学では、日本语を専攻しました。正直、初めの顷は、梦なんて、まだ见つけていません。目の前の道をただ走るのみ、そこには私の梦とか、意志とか、ありませんでした。勉强していく中で、ちょっとした问题に気づきました。それは、必死に勉强している人ほど、成绩が低く、ということでした。そのとき私はこっそり考えました。実は彼らは努力が足り

ないってわけではありません。努力の方なら、私なんかより、ずっとたくさんしていると思います。残念なことに、彼らは勉强の仕组み、つまり勉强の方法を知らないだけに、こういう「空振り」の学习を缲り返しているです。そこで、私は「将来日本语の教师になって、知识だけではなく、勉强の仕组みを、御绍介させていただきたい」という、梦を持つようになり、そして今までに至っています

私の趣味はスポーツをやる事です。色んなスポーツ中にサッカーが大好きです。普段尐なくとも周に1回やっていました。最近、勉强忙しいですから、なかなか暇な时间が取れなくなりますので、殆どやっていませんでした。でも、サッカーのことを関心しております。毎周必ずスポーツ新闻を読みます。ちょっと残念ながら、最近、中国のサッカーチームは国际试合で全灭になりそうだ。

我的兴趣1

我的兴趣是运动。在各种运动项目中,我最喜欢的是足球。平时至尐一周打一次。最近学习比较忙的缘故,抽不出空余时间,几乎不打了。但是,很关心足球的新闻,每周的体育报肯定会去看的,有点可惜的是,最近中国队在国际比赛项目上好像全军覆没。

私の趣味2

仆の趣味は音楽鉴赏でございます。もちろんポピュラー音楽が大好きですけども、普段にクラシック音楽もよく聴きます。いつも部屋で音楽を聴きながら、文章を书きます。もし、何か悩んでいることがあれば、好きな音楽を聴いて気持ちが落ち着けます。

我的兴趣2

我的兴趣是音乐鉴赏。当然了,我最喜欢的是流行乐,但是平时我也经常听听古典音乐。平时都是在屋里一边听音乐,一边写文章。如果有什么烦心事的话,听听自己喜欢的歌,心情可以平静下来。

私の家庭

私の家は 三人の家庭です. お母さんとお父さんと私です.

私の母は 病院の看护妇です. 毎日 八时に 病院へ 行きます, 午后 六时に 家に 帰ります. 母は 中华料理が とても 上手です.

私の父は 大学の先生です. 化学の専门を 授业しています. 本を 読むことが好きで,テレビが 好きないです. 私は 大学の学生です. テレビを 见ることが 好きで, スポツが上手です.

私の家庭が 楽しい 家庭です. 私は 父と母と よく 一绪に 游びに 行ったり, 山を 登ったりします.

日语作文我的家乡

私は上海に生まれました。故郷は上海だと思います。上海は中国の中では、最も都会らしい都会です。上海には名所名迹が尐ないが、中国最大の商业、工业、港湾地帯として特徴づけられている。

今、上海の人口がもうすでに1250万人を超え、世界一のマンモス都市となった。改革开放によって、上海が大きく変わりつつある。毎年上海に帰省するたびに、その発展ぷりに惊き、上海の一员として、夸りと喜ぴを持っている。

上海は长江の单侧、支流の黄浦江の西侧に拓かれた街だ。今世纪の初めに黄浦江西侧のバンドと呼ばれる地区は、港湾设备が整备され、その周辺に各国の租界か集中されていた。上海はまた「冒険家の楽园」と呼ぱれ、このバンドは国内だけでなく海外でもよく知られており、観光客が必ず访れる所となっている。バンドは上海?シンポルとも言え、

バンドの周辺に立ち并ぷ建物はそれぞれ风格を持ち、「万国の建筑物」と言われる。

バンドの近くから始まり、市中心まで伸びる世界でも有名な单京路がある。东京の银座より人がいっぱいで赈やかである。单京路にある第一百货店は毎日20万人ほどのお客さんを迎え、祝日になると30万人を超えるほどだ。

さらに、夜のバンドと单京路はまた格别だ。ネオンサインがまぷしいほど辉き、日本人は上海の夜景を「亓つ星」と绝賛している。

谁にも故郷がある。故郷を离れれぱ离れるほど故郷が恋しくなるのが人情だと思う。上海に帰る回数が増えれぱ増えるほど恋しくなる私の大好きな上海である

私の家族

私の家族はたくさんの上海の家族と同じ、幸せな3人家族です。 父、母とかわいい私です。

父は见るのがちょっと厳しいですが 実は日常の生活中に 时々人に笑われることをします。母はふだんにぶつぶつ言うことがありますが 私と父に対して母はいないと 生活ができない人です。

私は 幸せな家庭があって 未来 両亲は私に対して 最重要な人です。

私は父と母を爱しています。

十一黄金周

もう终わったこの十一の节句は私に対して いい休みを过ごしました。1日は亲戚のうちへ游びに行きました、2日は中学校の友达と一绪に歌を歌いました、3日は両亲と一绪に买い物に行きました、4日は日本语の授业をしました、5日の午前中大学のクラスメートと一绪に卓球をして 午后ゴルフをしました、6日はもっと多いクラスメートと一绪にスキーに行きました、8日の学校へ通うことを迎えるために 7日は一日中うちでゆっくり休みまして 本当に充実しました。

「泥雤」

今年の夏に单京では、不思議な「泥雤」は二回があった。不思議な「泥雤」というのは、普通の程度の灰雤ではなくて、生まれて初めて見た、すごく多くの土砂を混じえた雤なのだ。

一回目は夜のことだった。朝、起きてから、ベランダでは、干された洗濯物はみんな斑になっていたのに、多くの单京人がびっくりした。

二回目は、午後のことだった。その日の午後、スーパーへ買い物に行った私は、帰りに、空は急に黄色くなったのに気がつくと、大雤が降り出した。私は道端の店へ急いで、雤宿りできたが、自転車にのる人たちはたいへんひどい目に会った。あっという間にほとんどの人は「縞馬」になってしまった。

翌日の新聞によると、「西部の内マンゴルのほうからの影響だ。」ということだった。なぜかそんなに多くの土砂はここまで運ばれてくることができたのか。ちょっと疑問を抱いた。

八月の末に、大学の「西部考察団」に参加して、西部環境を調べてきた友達にこう言われた。「西部は、もう人間の想像できる限り以上破壊された。」それで、いろいろな写真を見せてくれた。その中に、いくつの写真は土の色を背景として、二三本の木が混ざった広々としたばかりの空き地だった。「二十年前にここは森だったのに、」彼は言った。

私は無言だった。答えはここのだ。森林を無闇に乱伐して、砂漠化の拡大を招いたのだ。いや、もっと考えられるのは、その森林破壊は西部にあるだけではないだろう。そうではなければ、なぜかその土砂は遠く東にある单京にまで運ばれたことができたのだろう。それは、森林破壊からの砂漠化の拡大によって、多くのところは不毛の地になってしまい、土砂を混じえた大風は起こされ安くなって、また、一部分の土砂は気流運動に乗って、途中で余り阻止がなっかたから、大きな顔をして、都市まで来られて、「泥雤」に変わったわけだ。

森林破壊はこうした土砂を混じえた「泥雤」をもたらすのであるばかりではない。空気にある二酸化炭素の効率よく循

環ができなくなって、地球温暖化をも招くのだ。

現在のような「泥雤」は、今度と来ないように、根本的な対策は森林の保護しかないといっても過言ではないだろう。 これは国を挙げた大問題だから、全国民の努力が必要であろう。いろいろな法律や規則や方案の制定などに取り組まなければならない。でも、尐なくとも、みんなはできるだけ木の代わり品を使い、積極的に植樹運動に参加すれば、きっと、早く天然の「自然の雤」が迎えられるだろう。

中国の学校教育から、考えていくこと

「中国新聞社」によると、今年の1月、夕飯の後、ちょっとテレビを見たいが、母親に止められて①、又今学期ではクラスの前から10番以内に入ってくれ、と強く要求された徐力という中学生は、母親との口論②中に、ハンマーを持ってきて、母親を殴り殺したそうだ。

又、8月、八歳の王(北京)という小学生は、宿題を済まさずに、うそついたという原因で、母親に何時間もたたかれて、腎臓衰弱になったそうだ。

このような問題にたいして、誰でも平気で見ていられない③だろう。もっと考えると、問題は「点数」を中心とする教育制度にあるではないだろうか。中国の教育制度について、反省しなければならないだろう。

というのは、中国の教育制度は、「試験制」を土台として作られて、ただ点数の高い人が大学に入れるというシステムだから、学生たちは、大学に入るために、子どもの時から、先生や親たちに「おまえ、死にもの狂いにがんばなきゃ、大学に入れないぞ。」など④、耳にたこができるほど、( よく )⑤言われたりして、勉強に厭きるのは当然だろう。

教育の問題は、現在、上は国家から、下は地方まで、たいへん重視され、多額の資金が導入されているのである。国家統計機構によると、現在から、2010年までに、我が国の大学入学率は9%から15%に上がる見込みだそうだが、人口が12億に超えた発展中の中国にとって、確かに、目立つ進歩と言えなければならない。

しかし、中国の国情に「お粥が尐ないが、御坊さんが多い」㈠という点があるので、いくら国家·地方、社会から、教育に資金を投入しても、限度がある。また、多くの学生にとっては、大学なんて、ただ夢としか見えないだろう。

したがって、別の方法を考えなければならない。キャンパスが狭い、先生が足りないとか、学校の容量はもう満杯になっている。それは確かに今存在してしる⑥事実である。でも、もう二つの事実がある。それは、今年の統計によると、中国の都市における住民の電話所有率は30%に超えたし、農村でも20%に近いそうである。もう一つ、中国のインターネット使用料金はどんどん安くなっているし、インターネットのユーザーもぐんぐん伸びる一方だ。ということである、これらのことを考えると、中国で、インターネットで、ネット大学を実施するのが可能と言えるだろう、いや、必要があるのだろう。

政府と有名な大学によって、ネット大学を創立し、一定の点数を取った人に国家認可の学歴を配るのである。学生は自分の能力によって、自由に勉強する。E-mailとか、ICQとか、テレビ会議などで先生やほかの学生と交流する。もちろん、定期的に実際会って、コミニケーションしてもいい。

こんなことができたら、尐なくとも、いまの「千軍万馬が丸木橋を渡る」㈡に圧力を緩めるということであろう。また、身体障害者に福音をもたらすといえるのであろう。

ネット大学のシステムの設定·管理のために、いろいろな方面も考えなければいけないことは言うまでもない。みんな

で、一緒に努力すれば、できるであろう。 人間とは何か

東西の人間観

人間とは、一般には人界に住むもの、すなわち動物および神と区別する語である。アイヌ語で「アイヌ」とは人間のことであり、他民族との接触がないなかで、自らを「アイヌ=人間」と呼んだのも自然なことである。古今東西にわたり、「人間とは何か」については古来多くの思想家が論じた。そこでは、人間が動物の一種であり、直立二足歩行し、道具を操ることは自明の事実であり、それ以上の特性をもって「人間とは何か」を規定しようとしたのである。

東西の人間観

【 西洋の人間観 】

古代ギリシャでは人間の特徴を理性に求めたが、その代表者はソクラテス、プラトン、アリストテレスである。スウェーデンの生物学者リンネ(1707~78)が人類をホモ-サピエンス(賢明な人間)と名付けたのも、ギリシャ思想を受け継いだヨーロッパでは、言葉を操り、論理的に思考する能力を持った存在としての人間という見方があったからである。 「知は力なり」と自然の因果関係を正しい知識でとらえるとき、技術を生み、自然を支配し人類の幸福が増進されると主張したベーコン(1561~1626)や、「人間は考える葦である」として、思考の優越性を説いたパスカル(1627~62)など、この人間が自然界の主人であるという対自然の考え方が、ルネサンスを経て産業革命というヨーロッパの近代につながっていったのである。

それ以外にも、道具を作り操ることに観点をおいた「工作人」、言葉に求めた「言語人」、宗教に求めた「宗教人」、根元的な生の営みを遊びにとらえた「遊戯人」などの緒論があるが、いずれも人間の特性の一面を物語っている。

しかし、人間は飢餓や戦争といった極限状態になると、人肉も食べ、殺戮も平気で行う利己的な存在であり、「人間ほど残忍な動物はいない」とも言われる。人間は「食肉類の特性をもつ霊長類」とも言えるのである。

【 インドの人間観 】

古代文明の発祥の地、インド、中国でも、「人間とは何か」について多くの思索が行われた。古代インドのバラモン教の聖典を「ベーダ」と言うが、その解釈の中から自然と人間の考察が深められ、「ウパニシャッド(奥義書)」が作り出された。「ウパニシャッド」で確立された業?輪廻転生?解脱の思想は、インドの思想?文化の中核となったばかりか、仏教とともにアジア諸民族に深く広い影響を与えている。インドのヒンドゥー教もバラモン教の教義に土着の民間信仰を吸収して大きく変貌したものを指している。そして、ベーダの神々の中には、帝釈天や弁才天のように日本で今日でも崇拝されているものもある。

古代インドの考え方は、「人間は苦なる存在」ととらえる点にあり、それを前世で行った行為(=カルマ、業)ととらえるバラモン教、いろいろな欲望に執着する心(=煩悩)と考える仏教という違いがあるが、宇宙の普遍的な真理<バラモン教では「ブラフマン(梵)」、仏教では「ダルマ(法)」>を悟ることで苦から解放されるとする点は共通である。

つまり、人間を「知情意」を持つ存在と言うなら、「人間とは何か」について「知=理性」に求め、自然の因果関係を知り技術の発展させることに人間の幸せを求めた西洋と、「情意」の世界に求め、「知」ではなく自然の因果関係を悟り(=解脱)、自然と一体化すること(=梵我一如)で人間の幸せを求めたインドという違いが浮き上がってくる。

【 中国の人間観 】

古代中国についてみれば、それは「天」の思想に行き着く。この「天」 とは自然界の秩序や法則であり、やがて人の心に内在する道徳を意味するようになる。これをはっきりさせたのは孔子である。その後、孟子の性善説、荀子の性悪説という議論を生むが、人間の心に備わる善への可能性を否定したものではない。孔子後で言えば、無差別平等の兹愛を説いた墨子、無為自然、この世のものは差別なくすべて等しい価値を持つ(=万物斉同)と説いた老子?

篇三:日语作文范文18篇

日语作文范文 18 篇

1.「私が住んでいる部屋」 日本は土地の値段が非常に高い。そのため、家を建てるにも部屋を借りる にも、かなり费用がかかる。私がいま住んでいる部屋も、私の国と比べると、 かなり高い。 6 畳の部屋に 2 畳くらいの台所トイレが付いて 3 万円である。风吕付きの 部屋がほしかったが、高すぎて借りることができなかった。今でも少し残念に 思っているが、しかたがない。

风吕は近くの銭汤で我慢している。だが、私の部屋は二阶の南向きで日当 たりがよく、また、向かいは公园なので、环境はとてもいい。地下鉄の駅は歩 いて 10 分位である。学校にも 40 分位で行けるので、だいたい満足している。

2.「私の国の季节」 日本では 1 年は 3 か月ずつ四つの季节に分かれています。1 年を通じて気 候は温暖で暑さ寒さもあまりきびしくありません。山脉

【さんみゃく】が本州 を縦 【じゅう】に走っているので太平洋侧(表日本)と日本海侧(裏日本)では 気候の差が大きいです。表日本では、夏はむし暑く、冬は湿気が少なくて晴天 が多いです。裏日本では冬は雪がたくさん降ります。いわゆる雪国では雪が 4 ~5 メートルもつもることがあるそうです。

北海道を除く各地は 6 月上旬【じょうじゅん】から 7 月中旬【ちゅうじゅ ん】にかけて高温.多湿のシーズンになります。8 月から 10 月にかけては日本 列岛 【れっとう】の南西部は台风の影响を受けることが少なくありません。 京都のような盆地【ぼんち】では降雨量は少ないですが、気温の上下【うえし た】差が大きく、夏は暑く冬は寒いです。日本の大部分の地方で最もよい季节 は春と秋です。桜の美しい 4 月や绿の美しい 5 月は海外の観光客も多く、また 10 月顷の红叶も魅力的【みりょくてき】です。

3.「アルバイト」

「アルバイト」はもともとドイツ语で「仕事」という意味であるが、日本 では 40 年ほど前から、学生の副业の意味として使われるようになった。

现在、日本の大学生の 90%以上がアルバイトを経験しているという。そし てアルバイトのために学校を休む学生も多いそうである。 授业はやぼってもアルバイトにはいく。 そういう大学生たちは何のために 働いているのだろうか。 あるアンケート调査によると、 大学生のアルバイトは、 サービス、贩売など第 3 次产业の仕事が多い。そして、「どうしてアルバイト をするのか」 という质问に対しては 「海外旅行をしたいから」 「车を买うため」 などの回答が多かった。ほかにも、「贮金をして、留学の费用にするつもり」 「学费は自分でかせぎたいから」 「会社勉强になにから」という回答も见られ たが、ごく少数てあった。この调査结果からわかるように、アルバイトの目的 は游ぶためのお金をためることが中心となっている。 たとえ游びが.主な目的でも、アルバイトをすることで、労働の尊さやお 金を得ることの大変さを体験できるのだから、大きな意味がある。しかし、ア ルバイトのためなら授业をさぼってもいいとのは问题である。

4.「病気」

日本に来て 1 か月ぐらいたったとき、病気になりました。そのときは、胃 が痛くて何も食べたくありませんでした。 どうして病気になったのかよくわか りません。はじめがまんして学校に行っていましたが、だんだんひどくなりま した。それで、近くの病院に行きました。 お医者さんは「かぜが原因で胃炎になったのです。あまり心配しないで、 ゆっくり休んだほうがいいですよ」と言いました。そして注射をして薬をくれ ました。私は勉强が遅れるから学校を休みたくないと思いました。しかし、お 医者さんの言う通りにしたほうがいいと思って、家でずっと寝っていました。 二.三日したらだいぶよくなりましたが、あまり无理をしないように気を つけました。 四日目に友达がお见舞いに来てくれました。 病気をしないように、 いつもきんと食事をして、よく休养することが大切だと思いました。

5.「スポーツ」

すもうは日本の国技 【こくぎ】です。わたしは高校生の时、ドイツ初め てすもうを见ました。テレビで见たのですが、力士【りきし】があまり大きい のでびっくりしました。その时から、私はすもうが好きになって、友达とすも うの练习を始めました。今、ドイツで、20 人ぐらいの友达とすもうのクラブ を作って、毎日练习をしています。 私の梦は、日本のアマチュアすもう大会で优胜することです。今まで 2 回挑戦【ちょうせん】しました。1 回目は、1 回戦で、负けましたが、2 回目 は 3 回戦まで胜ちました。私は体が大きいので、一生悬命练习すれば、きっと 强くなれると思います。 すもうは、何も道具を使わない、人间の力がぶつかる素晴らしいスポーツ です。私はすもうが、ドイツでももっと盛んなってほしいと思います。

6.「高校生活」 高校の时、 私は毎朝 7 时 20 分に家を出ることにしていました。 けれども、 遅刻しそうになって走ったこともありました。帰りは、友达と偶に寄り道をし

て、ケーキ屋さんや本屋さんへ行きました。校则では禁止されていたので、何 となくスリルがあって、ドキドキしたことを今でも懐かしく思い出します。 私は 3 年间ずっと合唱【がっしょう】部でした。练习はつらくもあり、ま た楽しくもあまりました。1 年に 1 度の発表会の前は、练习で帰りがおそくな ることがよくありました。暗い道を、友达と駅へ向かう途中、悩みを相谈し合 ったり、10 年后の自分たちについて、话したりしたりものです。今から思え ば、このおしゃべりが、毎日の生活の楽しみだったのかもしれません。私が高 校生活で得た一番大きなものは、友情だと思います。

7.「趣味」 私の趣味は书道【しょどう】です。休日はいつも午前から笔 【ひつ】と 砚【すずり】を出して。夕方まで习字をしてすごします。でも、この习惯は日 本に来てから始めたものです。もちろん私の国中国でも子供の时から、みんな 习字を习います。しかし、国ではそれは趣味ではありませんでした。 日本では何でも非常にお金がかかります。ですから始めの顷、私は暇な时 でも何もしないで一日中部屋にいました。 でも日本语学校で习字のクラスが始 まったので、 私もやってみることにしました。 汉字は私の国でも书きましたが、 ひらがなを笔で书くのは初めての経験でした。 その时私は笔で书くひらがなの 美しさにとても感动しました。 私はひらがなの练习に梦中になっています。 今、 それに习字をやっている、国のこと、特に高校生のころを思い出して、と てもなつかしい気持ちになります。习字は孤独【こどく】な趣味です。友达は 「もっと外に出て游んだ方がいいでしょう」と言いますが、私は习字をやって いると本当に时间をわすれてしまうのです。

8.「ストア」

最近、私が住んでいるアパートのとなりに ストア が出来た。ストアに は、パンやおにぎりなどの食料品から、洗剂,などの雑货まで、生活に必要な ものはたいていそろっている。その上、24 时间あいているので、いつでも必 要な时间に买い物ができる。この店ができたおかげで、夜遅くお帰ってきたと きでも买い物ができるようになった。 私のような一人暮らしの男性だけでなく、 仕事で帰りが遅くなった女性も 弁当を买っている。この店では、毎月の电気代や电话代を払うこともできる。 それに、コピー机もあるので、たいへん便利だ。 このように、ストアのおかけで生活は便利になったが、よいことばかりで はない。夜、车で买い物に来る人が増えたために、うるさくて勉强ができなく なってしまった。エンジンを止めないで店に入ったり、店の外で大声でおしゃ べりをしたりする人がいる。また、いぜんより道が汚くなった。 ストアを利用する人は、近所の人たちのことをよく考えてほしい。

9.「私の一日」 私は毎朝 6 时半に起きます。そしてラジオの中国语の勉强を始めます。中 国语の発音は大変难しいです。7 时半ごろ朝ご饭を食べます。 私の家は郊外にあります。会社は町のまん中にあります。家から駅まで 10 分あまり歩きます。そして电车で会社へ行きます。家から会社まで 55 分か かります。电车はいつもたいへんこみます。会社は 9 时に始まります。仕事は たいてい 6 时に终わります。どきどき駅からタクシーで帰ります。3 分ぐらい です。170 円かかります。 私の会社は旅行会社にいます。支店は全国に八か所あります。仕事はたい へんおもしろいです。私はよく出张します。来周は九州へ行きます。しかし、 出张はとても疲れます。日曜日はほんとんどの会社は休みます。しかし、わた しの会社はめったに休みません。社员は交替で休みます。休みの日は一か月に 4 回とどです。その日は昼ごろに起きます。あまり外出しません。家でゆっく り小说を読みます。夜はビールを少し読みます。そしてステレオで音楽を闻き ます。ときどきテレビも见ます。

10.「私の家族」

私の家族は 4 人と 1 匹です。両亲と私、弟、それにゴンという名【な】の 犬です。父は歴史家なので、セラリーマンのように毎日决まった时间に出勤し ません。父は话が苦手なので、母が客の相手をします。高校へ行っている弟は 将来外国で働きたがっています。 ゴンは今年 10 歳になります。とてもいばっていて、父がいない时はゴン が父の椅子に座っています。他の人が座ると、鼻にしわをよせて怒ります。寂 しがりやで留守番も嫌いです。母や私が出かける支度を始めると、私たちの傍 から决してはなれません。留守番をしなければいけないと分かると、私たちの 靴を隠してしまいます。 ゴンの最后の手は仮病です。 ゴホゴホと咳きをしたり、 びっこをひいたりすます。家族はそれに时时骗されます。

11.「日本语の授业」

日本语の授业は 1 周间に 5 回あって、文型【ぶんけい】や会话、汉字、作 文などを练习します。本を読んだり、テープを闻いたり、ビデオを见たりもし ます。授业中は先生も私たちも日本语しか使いません。

始めに、简単に复习をしてから、新出语や文型を习います。先生は絵や动 作を见せて说明していきます。 何回も文を闻かせてから、 私たちに言わせます。 私たちは文型を使って文を作ったり、先生の质问に答えたり、学生同士で质问 しあったりします。 よく、先生は私たちに短い会话を暗记させて、役割练习をさせます。とて も紧张しますが、実际に、体を动かしながら话すのは面白いので、私はこの练 习が一番好きです。しかし、汉字は苦手です。先生は私たちに汉字が书いてあ るカードを読ませたり、何回もかかせたりします。最后に、声を出して教科书 を読みます。 先生は私たちに一人ずつ読ませて、 间违った読み方をなおします。

12.「お诞生日」 私の诞生日は 4 月 23 日です。今年の诞生日で私は 30 歳になりました。私 はその日、友达といっしょに诞生日パーティーをする支度をしました。まず、 カフェをかりきりました。 そしてそこをきれいにかざりました。バースデーケーキにろうそくを 21 本たてました。それから私がすきなこん色のワンピースをきました。 5 时からパーティーを始めました。友达がたくさん来てくれました。そし てみんな私に「おめでとう!」と言ってくれました。私がケーキに立ててある ろうそくの火を消す时、 シャンペンの栓 【せん】 をぬいてくれました。 そして、 人形やこう水や絵など、いろいろなプレゼントをくれました。それからうたを 歌いながらビールを饮んだりスケーキを食べたり、 ゲームをしたりして过ごし ました。

13.「娯楽」 「日本人は働き蜂」 とよく言われます。 确かに、 日本人は勤勉でょく働き、 中には「仕事が趣味」という人もいます。しかし、谁でも仕事ばかりしている わけではありません。それでは、仕事から解放された时、日本人はどんなこと に楽しみを见出すのでしょうか。 まずゴルフです。サラリーマンにとっては、たんに趣味というだけでなく 「接待ゴルフ」といって、日曜日に青空の下でゴルフをするのは、趣味と仕事 の両方ができて「一挙両得」のようです。 「时间と暇があれば旅行したい」、大部分の日本人がこう考えているので はないでしょうか。 国内ばかりか円高の影响から海外旅行热も高まるばかりで、 休日の駅や空港は大変混雑します。 スポーツ観戦は野球、サッカー、相扑などに人気があります。テレビの番 组表を见ると、いかに日本人がこれらが好きかがわかります。広いグランドで 缲り広げられるゲームや狭い土俵の上の胜负に热狂し、ひと时を过ごすのは、 たとえテレビの観戦にしても楽しいものです。 また、お年寄りに人気があるのはゲートボールです。孤独になりがちなお 年寄りがいっしょにボールを追いかけることで、 楽しみを共有できるのはよい ことだと思います。 パチンコは、好きな人と嫌いな人がはっきり别れます。しかし、どんな町 にもパチンコ屋が必ずあり、いつも混んでいることを考えると、日本人の娯楽 の中に必要がありそうです。パチンコファンは老若男女を问わないようで、店 の中には、さまざまな层の人がゲームを楽しんでいます。 カラオケは世代によって楽しみ方が违います。 若者はカラオケボックスで、 歌うことを目的に、数时间を过ごします。仲间だけでいられること、何人もで 楽しめること、 歌っている瞬间は主役でいられることなどから人気があるよう です。勤め返りのサラリーマンが立ち寄るバーなどにも、カラオケの设备のあ るところが大半です。「いっぱい饮みながら」歌うカラオケは、知らない人同 士マイクを譲り合い、上手な歌に心からの拍手をし、下手な歌にもお世辞の拍 手をする。最近では外国人のために、各国语の局をそろえたところも出てきま した

14.「私の一周间」

私は月曜日から金曜日まで日本语の学校に行きます。そして 9 时から 3 时まで勉强します。お昼休みは 12 时から 1 时间あります。私はこの时间がす きです。自分のクラスの友达はもちろん、他のクラスの友达ともおべんとうを 食べながら、いろいろなことを话し合います。ときどき学校の近くのレストラ ンへ行くこともあります。 放课后 【ほうかご】は学校の図书馆で 5 时まで予习と复习をしてからア ルバイトに行きます。月曜日から金曜日まで、昼と夜はアルバイトや勉强で忙 しいですからあまり游びに行きません。土曜日は学校は休みです。朝は扫除を したり、洗濯をしたり、近所のスーパーへ买物に出挂けたりします。日曜日の 午前中は教会へ行きます。午后は天気のいい日は公园を散歩します。土曜日か ら日曜日にかけて温泉に行ったことがありますが、わたしは土、日は家で両亲 や友达に手纸を书いたりテルビを见たりして、のんびり过ごすのが好きです。

15.「私の友达」

私は积极的な性格ですから、友达がたくさんいます。しかし一番仲が良い のは你来我网さんという友だちです。彼女と初めて会ったのは、高校生になっ た时です。你来我网さんは私は反対に、女らしく优しくて、すなおです。私と同じ年ですが、いつも私の悩みを闻いてくれて、私には本当のお姉さんのよう な人です。私が寂しい时や困ってにる时は、いつでも力になってくれました。 你来我网さんは、今、ゲザイナーになって有名な洋服の会社につとめ、毎 日いそがしいようです。私が日本へ来ているので会えませんが、暇があれば手 纸を书き、电话も时时かけています。これからもずっと仲良くしていきたいと 思ってにます。

16.「自己绍介」

私は中国から来た「ぼくのゆめ」です。今岛根にある寮に住んでいます。 外国人は私一人です。ですから、はじめのころは、言叶や食事のことなどでと ても苦労【くろう】しました。お风吕に入る时も耻ずかしくて嫌でした。 でも、 今はもうすっかり寮の生活にも惯れて、 みんなと仲良くなりました。 私は料理が得意なので、休みの日は、寮の友だちにごちそうします。すると、 みんなとてもよろこんでくれます。 私は好奇心が强くいろいろなことを体験し てみたいと、いつも思っています。それで、以前から趣味のあった日本へ来た のです。 今热中していることは生け花です。次は、お茶をやってみたいと思ってい ます。にほんへ来る前は、病院

に勤めていました。日本语の勉强が终わって帰 国したら、 日本语や日本で学んだことをどんどん仕事に生かしたいと思ってい ます。 17.「増える突然【とつぜん】死」 最近、30 代、40 代の人の「突然死」が问题になっている。きのうまで元 気で働いていたが、急に倒れて、病院に运ばれる途中で死んでしまったとか、 朝、なかなかおきないので见に行ったら、まう死んでいたとか、そんなニュー スを新闻などで见ることがある。私には信じられないことだが、もし本当なら とても恐ろしいことである。 なぜ、このような突然死が増えてきたのだろうか。新闻によると、突然死 の一番の原因は、 毎日の忙しい生活や复雑な人间関系から来るストレスらしい。 30 代、 代は一番元気に仕事ができる年代だが、 40 そういう自信があるために、 かえって无理をして、突然たおれってしまうのではないだろうか。 しかし、 毎日一生悬命に働きつづけて、 代や 40 代で死んでしまうのは、 30 実にさびしい人生だと思う。昔とくらべると、现代はとても豊かで便利な会社 だと思うが、若い人たちは仕事にばかり梦中にならないで、もっと人生をゆっ くり楽しむべきである。

18.「私の国の教育」 中国の义务教育は中学 3 年生までで、16 歳までです。中国では小学校か ら中学校に入学する时は试験がありません。 中学校から高校に入る时から试験 があります。高校から大学に入る试験はとてもむずかしいです。进学校の高校 3 年生たちは、朝 7 时から夜时まで学校で勉强します。试験科目が多いので入 学试験に合格するためにはたくさん勉强しなければなりません。 一番たいせつ な科目は国语と英语と数学です。1 クラスの 30 パーセントの生徒が大学へ进 学します。 进学しない人は家にいる人もいますし、 就职に合格する人もいます。 「3 时间しかねなかったら入学试験に合格するが、4 时间寝たら落ちる」 という话があるほど、大学に入学试験は难しいです。日本の予备校と同じよう な学校があるので、入学试験に落ちたらその学校で勉强します。 中国の教育はとても厳しくて、日本とあまりかわらないと思いもす。


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